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トルコ 2005年7月29日(金)〜2005年8月9日(火)  7月30日(イスタンブールその1) 
 イスタンブールにて
  この日は1日イスタンブール観光。ホテルで朝飯を食ったが、何かアジア人への態度が冷たい気がする。トルコは親日家とも言われているが少なくともイスタンブールでそれを感じることは無かった。それどころかお決まりのアジア人差別を感じることも何度かあった。ま、そういう意味じゃEUに入る資格十分ってとこだね。

つまらないことはおいといて、さっそく街へ繰り出す。ホテル唯一の利点、立地環境がいいっていうメリットを活かさないとね。まずは一番の大物トプカプ宮殿へ。街で地図を確認してるとさっそくトルコ人が寄ってきて、いきなり日本語で話し出す。なるほど、これがうわさのヒネテーロ(キューバ)もどきか。この手の連中どこにでもいるねぇ。おお、確かに日本語が上手い。しかも相当しつこい。おまけになかなか話の間合いを心得ている。結局、スルタン・アフメット地区ではこの日1日この手の連中に悩まされることになるのだが、これだけたくさんいるってことは、過去にすごくたくさんだまされちゃった男の子やぱくっとやられちゃった女の子がいたという事だねぇ。

 トプカプ宮殿
   さて、何はなくとも宮殿。付近にぼつぼついた警備兵は、皆機関銃を持っていてけっこうびびる。宮殿は早いめに行ったのが正解で、わりとすいていた。

この城はコンスタンティノープルを征服したメフメット2世が1453年に造ったのが始まり。その後4世紀にわたって、スルタンの居城になる。緑に囲まれた宮殿は、4つの庭園を基本にした典型的なイスラム様式の設計になっていて、世界に冠たるオスマントルコ帝国の象徴という目で見ると思ったより小さい感じがする(それでも十分でかいが)。でも、成金的な感じではなく、落ち着いた雰囲気があって、なかなかセンスがいいと思う。オスマントルコいえば、イズニックタイルというわけで、生産地イズニックの名を冠した青と白がベースの装飾タイルが惜しげもなくなく使われていてとても美しい。もっとも後年のスルタンはヨーロッパ的な派手な宮殿を好み、新市街にあるドルマバフチェ城などに移り住んでしまった。

塩野七生好きとしては、歴代スルタンの中ではロードス騎士団との攻防を始め、オスマルトルコの絶頂期にに君臨したスレイマンとコンスタンティノープルを攻め落としたメフメット2世のチェックだけははずせないところ。ちなみにスルタンとはスンニ派イスラム世界で王とか皇帝をあらわす称号。

宮殿奥にあるバーダッド・キョシュキュからの眺めが最高で、金角湾とボスボラス海峡の眺めが素晴らしい。「東洋と西洋の合流点」という大上段なモノ言いはここに立つと実感できる。

宮殿のセンスの良さとはうってかわってすごかったのが宝物館。これでもかと出る宝石群の嵐。中でもイスラム世界で重要だというエメラルドに至ってはあまりに多すぎて、少なくともくとも展示してあるのはガラス玉に違いないとすら思ったものだ。世界最大のエメラルドや86カラットのスプーン屋のダイヤなど宝石好きならここを見ずしては死ねまい。感覚がマヒしてくる。宝石好きならここを見ずして死んではいけない。
 
送迎門、この内側にチケットコントロールがある。


左側の金色の屋根(イフタリエ)からの眺めが最高


ちょっと緑がジャマだが・・・

議事堂だったかな
 ハレムと旅の行程
   
ハーレム内部

水周り系は清潔感あり
ハレムの入口を見つけられずに苦労する。

宮殿の中でもハレムのチケットだけは別販売。これはここだけ30分刻みの大雑把な定員制だから。非常に混むので、ここは先に攻めるべき。僕が行ったのは昼前で、タイミングにぴったりだった11時半の回はすでにいっぱい。12時の回に回された。でも、午後になるともっとすごそうだ。

しょうがないので空いた時間で、先に調理場に周る。いろんな食器が展示されてるのだが、中国からのものがたくさん。日本からの皿も何枚かある。こんなところにもかつては世界の中心だったという名残が感じられる。

12時には再びハレムに戻り、いよいよ内部探訪。ガイドさんに案内されて狭い通路を団体さんでぞろぞろ歩く。昔は当然ご禁制臭ぷんぷんな場所で、子作りの場という他に皇子達の生活の場でもあった。オスマン朝での相続は長子相続が確立していなかったため、それはもうえげつない抗争がしょっちゅうだった。ハレムはそんな陰謀が渦巻くどす黒い世界だったのだ。もっとも、今は禁断の香りなどどこへやら、他の見学コースとさして雰囲気は変わらない。ちょっと拍子抜けなぐらい。でもイズニックタイルの美しい装飾など、華やかな雰囲気は随所にある。

ハレムを出たらすでに昼過ぎ。後の行程も考えここで宮殿から撤退する。実は日本を出るとき知り合いからトルコの旅行会社の人(トルコ人)を紹介されていた。今後の行程については頭の中におぼろげな絵を描いてはいたけれど、何か役立つ情報等得られるかもしれないと思い、電話をかけて会いに行ってみた。

目指す旅行会社は新市街のタクスィムにあった。タクシーの窓に流れていく新市街の風景はやはり旧市街とはだいぶ違う。観光客はぐっと少なめだ。

旅行会社では中年のおじさんが、親切に対応してくれた。頭に描いた行程についていろいろ相談してみた。10日あるといっても広いトルコを周るには全然十分じゃない。イスタンブールからカッパドキアへ飛行機で直入りを考えたのだが、満席で打つ手無し。結局、地道にバスで刻んでいくことにした。
 アヤソフィアとブルーモスク
  すでにお昼もだいぶ過ぎていた。再びスルタン・アフメット地区に逆戻り。この日は少なくともアヤソフィアとブルーモスクと地下宮殿は見る予定。これはまずいとここから駆け足になる。

さて、アヤソフィア、537年に建てられ、1453年にコンスタンティノープルが陥落するまでは、ギリシャ正教の総本山でありキリスト教世界最大の教会であった。陥落後は イスラム系のモスクに改造されたんだけど、天井のあたりの漆喰をはがしてみたら、あら、びっくりキリスト教の壁画が出てきたってワケ。まぁ古いってことは評価するとして、機を見るに敏なアタチュルクがとっとと博物館に変えちゃったあたり、何かこうキリスト教に迎合してるという感じは否めない。世界に冠たるオスマントルコ帝国ならば、漆喰で塗り固めるだけじゃなくて引き剥がして跡形も無くしてしまえばよかったのにねぇ。今のトルコはヨーロッパ圏へのコンプレックスみたいのが感じられて、どうかなぁと思うことも多い。スレイマン大帝は草葉の陰で絶対泣いてると思う。ま、おかげで、キリスト教国からたくさんの観光客が来るわけだけども。話が脱線した。アヤソフィア、建物はとてもでかくて美しい建物。ここまで維持するには建設当時の最高技術と涙ぐましい補修作業の繰り返しのおかげらしい。現在はブルーモスクと向き合って優美な姿を見せている。

ブルーモスク。正式にはスルタン・アフメット・ジャミィ。こちらも美しい建物である。ビザンチン帝国時代は宮殿だった場所だそうだが、1616年にスルタン・アフメットT世が、アヤソフィアに負けないヤツってわけでこれを造った。もちろんこちらは博物館ではなく、現役のモスク。これぞまさにイスラム。青い色のもとになってるイズニックタイルも美しい。そこかしこで声かけてくるうざい兄ちゃんにうんざりしたら、ここに逃げ込めばいい。土足厳禁なのが、逆に日本人的には GOOD。異教徒が勝手なことを言ってはいかんが、モスクの中ってほんとに落ち着く。時間があれば1時間ぐらいここでぼけ〜っとしていたかった。ついでにモスクに隣接するじゅうたん博物館にも行ったが、古めかしいおんぼ ろじゅうたんがたくさん展示してあるものの、こちらはすごさがイマイチわからず。
  漆喰の下から(アヤソフィア)

マリアの手形、ご利益いろいろ。(アヤソフィア)

外観(アヤソフィア)

ブルー・モスク
Republic of Turkey 2005年7月29日(金)〜2005年8月9日(火)
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