7.再会
キリマンジャロ登山でレスキュー隊に搬送されたYさん夫婦とは、お互い悲惨な状況にあったため、ろくに名前も言わないうちに別れることになった。僕が知っていたのは彼らのその後の行程が、同じンゴロンゴロであるということぐらい。それも予定通りに行けばの話だ。キボでのあの状況とンゴロンゴロにも何軒かあるロッジのことを考えると再会する可能性はかなり低いように思えた。

一人テーブルに着いて、パンが出てくるかどうかといったところだったろうか?ほとんど西洋人ばかりの広いレストランの中央寄りに、ふっと東洋人らしい姿が見えた。その姿に見覚えがあった。僕は席を立ちそちらに歩いていった。そう、そこに座っていたのは確かにYさん夫妻だった。
8.あの後
レスキュー隊のタンカに載せられたダンナさんと付き添う奥さんは、あの大雪の中一気にマンダラ・ハット(2,700m)まで下ったそうだ。「高山病は下山すると治る。」の通り、降りるときは意識障害で一刻を争う状況に見えたダンナの方も、ここでほぼ回復し、翌日は二人で普通に歩いて登山口まで降りていったそうだ。

お互いキボ挫折組同士なぐさめあった。ダンナの方はずっと陸上をやってた人で、見るからに精悍そうだし、こういう人があんな状況になるのだから、結局ポイントは体力ではないのだと改めて思う。再戦を誓うわれわれのそばで、奥さんはさほどショックは無かったようで、「4,700mも登れたのでひとまず満足。」などとのたまわっていたが、この奥さんキボでも特に不調は無く、一人だったら登頂してたかもしれないのだ。男はちょっと未練たらしい?

10.クレーター内部へ
翌朝、驚いた。

どんより曇った空と、そしてあたり一面の霧。クレーターはおろか数m先も見えないのだ。「最悪」つぶやく声にも元気は無い。見学できるのは今日一日だけ。焦りにも似た気持ちとともに、それでも準備を済ませコンベと合流する。すぐに出発。

コンベはいつも通り元気で、僕の心配も「問題無い」と軽く一蹴。「朝はいつもこんな感じさ、クレーターの底は晴れてるんだ」と頼もしいことを言うが、あまりにもすごい霧に、俄かに信じる気にはなれない。

車は途中からクレーター外周道路をはずれ、いよいよ内部に降りていく。悪路に揺られながらを降りていくと、ゲートにぶつかった。これを越えるといよいよクレーター内部だ。
11.ゲートにて
ゲートには先に何台か止まっていて、手続きをしている。順番待ちをしていると後からも何台か来た。サファリを目指す人の行動パターンは似ているのだ。そんな車をぼんやり眺めていると、ふっとYさん夫婦が乗っている車に気がついた。今日はアルーシャに向かうということだったので、驚いて聞いてみると、昨日の結果が残念で予定を変更して午前中だけ再トライしてみるという。一緒に写真を撮り、そして今度は本当にお別れをした。

ゲートを過ぎ、いよいよクレーター内部に入る。驚いたことにクレーターの底は本当に晴れていた。ロッジのある外輪山はすっぽり雲に覆われている。コンベの言うとおりだ。そしてそのあたりを覆っていた霧もだんだん晴れてきている。
12.サファリ開始
コンベがサファリのために車の屋根を開く。風が冷たい。そんな中すでにたくさんの車がクレーター内を疾走している。いくら広いと言っても、基本的には箱庭。動物は見やすいと言われてるがどうだろう?

シマウマの群れが至る所に見られる。そしてご存知ヌーも、相変わらずわんさかいる。

クレーター内には比較的大きなマカトゥー湖始めいろんな水場があり、そこにはたくさんの動物が集まってくる。動物だけでは無くフラミンゴ始め鳥の数も豊富だ。
9.夜は更けて
何と二人は下山後すぐに移動を始め、その日のうちにこのロッジに来たそうだ。今日は一日クレーター内部をまわってきたという。「今日はあまり良くなかった」と言っていた。明日にはアルーシャに戻り、明後日帰国とのこと。僕より一日早いのだ。

この日は3人で食事後も語り明かした。Yさん達のサファリ・ガイドも途中から参加し、いろんな話をした。この人はそこそこ日本語を話すことができた。

夜もだんだん更け、かなり冷えてきた。暖炉の火がさかんに燃えている。僕達は、今度はちゃんと名前やアドレスを交換して別れた。部屋に戻ってでかい窓からクレーラーを眺めたがさすがに夜は何も見えなかった。
資料館あたり
キリマンジャロの記憶
クレーターにて
ヌー
トムソンガゼル
ロッジ正面
見、見えん・・・
Y夫妻とゲートにて
シマウマがいっぱい
ヌーのアップ、迫力はあるんだけどさ
エランドかしらん?実は熟睡中なのです。
フラミンゴ、数は少ない
優雅なカンムリヅルのつがい


タンザニア

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