(4)ガウディ探訪 |
@ガウディのデータ |
正式な名前 | Antoni Gaudi i Cornet(アントニオではなくアントニ) |
超簡単な年譜 | 1852年 タラゴナ郡レウスに生まれる。 1878年 バルセロナ建築学校卒業 〜 おもな活動期間 1912年 サグラダ・ファミリアの仕事に専念 1926年 路面電車にはねられ死去 73歳 |
コメント | 生涯バルセロナに密着した活動。作品数は全部あわせても25作品以下で、全作品スペイン国内、ほとんどがバルセロナ周辺にある。学生時代は苦学生で成績も平凡、健康が弱かったせいもあって3年ほど留年している。(ただ、卒業のときには最優秀賞候補にもなっている) アール・ヌーヴォーのスペイン版、「スペイン・モデルニスモ」の建築家で、その作品は、ときに生きているかと錯覚するほど個性的な曲線を多用、破砕タイルと鉄細工を使った装飾で美しさを際立たせる。もちろん美しいだけでなく、独自の構造理論による建築空間への深い洞察の上に成り立っている。 作品名によく出てくるグエルとは彼のパトロンであった、エウセピオ・グエルのこと。当時繊維業界のドンであり、ガウディは彼の依頼を受けてさまざまな作品を創造。 ワーグナーの音楽をこよなく愛し、意外におしゃれさんだったとか。ヘビー・ドリンカーの上にヘビー・スモーカー。ロマンス関係は3度あったそうだが、気の毒なくらいオクテで思い込みが強く、結局すべて実らず生涯独身。愛があれば彼の作風ももっと違ったものになってた気がする。 1894年 41歳のときに突然何を思ったか40日間の断食を始め、瀕死の状態を司教のトーラスに救われたことから、サグラダ・ファミリア聖堂建設を生涯の仕事と悟る。ついでに禁煙、禁酒も達成。 1912年60歳になった頃からすべての仕事を断り、求道者のようにサグラダ・ファミリア大聖堂の仕事に専念。73歳で市電にはねられて死亡するが、あまりに貧しい身なりだったので誰かわからず、浮浪者と間違われたという話は有名。もちろん身元が判明してから大騒ぎとなり、市あげての盛大な葬儀がおこなわれた。現在は生涯の仕事となったサグラダ・ファミリア聖堂の地下で静かに眠っている。 |
ガウディにかかわる日本人 | ガウディに魅せられ、実際にバルセロナの地でその活動を認められている日本人も何人かいる。ガウディ研究者として、ガウディを日本に紹介した第一任者として、サグラダ・ファミリア聖堂の地下博物館でも大きく取り上げられている「日本のガウディ」今井兼次、ネスカフェのCMで有名?サグラダ・ファミリア聖堂「誕生のファサード」側他装飾担当の外尾悦郎、ガウディ建築の実測図面作成で評価の高い田中裕也など、ガウディへの想いを生業に変えてしまったいかした野郎どもである。 |
バルセロナ
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